一章 イレスダートの聖騎士

王都マイア

 王都マイアは、マウロス大陸において最大の王国といわれるイレスダートの中心地である。
 栄光と、希望と、夢と。人々の求めるすべてがこの聖地で叶えられるだろう。
 富も名誉も、強さも勇気も。知識も武力も集う王都は人としての生を受けその世界を耳にしたならば、一度は訪れてみたいと思うものだ。白亜と大理石で造られた白の王宮、両の脇にそびえる塔も祈りを捧げる大聖堂も、そのすべてがうつくしく、ひとたび王宮を出て石畳が連なる城下町へと足を運んでも、それは変わらない。あざやかな色彩が目に飛び込むとともに、緑の息吹に心も身体も癒やされるはずだ。
 噴水広場には今日も子どもたちが集まっている。母親たちはお喋りに忙しく、父親たちは誇りを胸に剣を持ち、城へと赴く。吟遊詩人は聖王のために詩を紡ぎ娘たちは美声の虜となり、老人たちは王と国を想い涙を流す。すこし離れた場所でも明るい声はきこえて、やはり活気に満ち溢れている。威勢の良い声で呼び込みをしているのは異国からの商人で、露天に並ぶ品物の物めずらしさに客が途絶えることはなかった。
 女、子ども、男も老人も。そこには幸福以外の言葉を知らないような顔をする。誰もがみな、この王都にいることを誇りに思う。
 夢と希望に満ち溢れる聖の王国。たとえばそれが偽りの、仮初めのものであっても人々は疑ったりはしない。まさしく白であるべきの国。ここは神聖なる王国だった。
 ブレイヴが王都を訪れたのはじつに三年振りだった。
 喧噪を背に受けながら栄光の都をそのまままっすぐに北へと向かえば、やがて白の王宮が見えてくる。いっそう豊かな緑と色取り取りの花たちに迎えられるより先に、城門に立ち並ぶ騎士にまず誰何すいかされるので平民や下級貴族などはまず立ち入れない。そこを抜けたとして敷地内を我が物顔でゆくのは不可能であり、白の間はいつでも開け放たれているわけでもないし、東の塔はマイアの白騎士団の管轄にある。ブレイヴはたしかにイレスダート人ではあるもの、しかし王都マイアの生まれにはない。マイアから西の、森と湖に恵まれた小国がブレイヴの祖国だ。要は、ここでは余所者なのである。
 今し方すれ違った騎士がブレイヴへと一揖いちゆうしたものの、目は敬意を示してはいなかった。ブレイヴは失笑しそうになる。たしかに、アストレアは小国だ。イレスダートには他に七つの公国から成り立つ王国で、アストレアもまたそのうちのひとつだった。ブレイヴは聖騎士であると同時に公子という身分だがアストレアが爵位を授かったのは祖父の代であるから、つまりはそういうことだ。それこそ、士官生のときなどはこうも風当たりが強くはなかったはずだが、それも成人し騎士となってしまえば話も変わってくるもの、ブレイヴはいま二十一の歳で年長者からの妬心としんはよくあることだった。
 足早に回廊進んでゆくその途中で、ブレイヴはふと足を止めていた。
 東の塔へとつづく回廊には普段ならば、そこそこに人の姿があるがいまは午後をすこし過ぎた時間、騎士の合同訓練が行われているのかもしれない。その静けさの中でブレイヴの視線の端に映るものがある。天窓から零れるたくさんの陽光を浴びて、神々しい光を放っているのはクリスタルで造られた竜の像だ。
 イレスダートは竜の加護を受けた王国である。この竜の像は平和の象徴といったところか、しかしブレイヴが思わず立ち止まったのは好奇心からではなかった。
 北の敵国の侵攻に備えて城塞都市へと行くことを命じられたブレイヴには、そうおおくの時間は与えられていない。ただ、心はどこか虚しさを感じていたのは事実で、ブレイヴは無意識に嘆息していた。無機質な石の竜は言葉を落としたりはしなかったが、その歴史が紡がれてきたからこそ、いまのイレスダートがあるのだろう。
 ブレイヴは幼い時分に、父親とともに白の王宮を何度か訪れている。
 おなじ年頃の幼なじみたちと一緒に、おとぎの話をきいたのはいつのことだっただろう。いや、貴人の子でなくとも、イレスダートの子どもたちならば誰もが知っている物語だ。かつてマウロス大陸にはふたつの種族が共存していた。それが、人と竜。けれど姿かたちも、力も知恵も、寿命すら異なる種族同士がともに生きてゆくのは簡単ではない。いつしかはじまった人間と竜族との争いに、人間に味方した白い竜に、すべてが終わったときに契約としてひとりの人間が竜の血と力を受け継いだこと。そして、マイア王家は竜族の末裔であることも――。
「何をぼうっとしていた?」
その声は、ブレイヴを深い思考から呼び戻した。 
「ディアス」
 名を呼べば、薄い笑みが返ってくる。彼も幼なじみの一人だ。
中肉中背のブレイヴに比べて背が高く、体格も良い。赤銅色の長髪は彼の特徴のひとつで他に印象的といえば、整った造作ぞうさくだろうか。高めの鼻梁も切れ長の目元も美しさを感じる充分な要素である。顔の骨格もしっかりと大人のそれで、隣に並ぶとブレイヴがやや童顔に見える。歳はひとつしか変わらないのに、ブレイヴにしてみればちょっと面白くはない。 
「何を考えていた?」
 二度目の追及には応えるべきだ。物思いに老けていたわけではなくとも、親友の目にはそう映ったのかもしれない。
「特に、なにも」
「嘘をつくな」
 すぐに返ってくる。語調の強さは相変わらずのようで、これもまた彼の特性のひとつだ。ブレイヴは苦笑する。早く答えないと更に追求されそうだ。
「本当だよ。ただ、懐かしいなと思っただけだ」
 それは嘘ではなかった。王家に忠誠を誓う公爵家の子として、ブレイヴもディアスも白の王宮には縁がある身だ。少年の時代には王都の士官学校にも通っていたことからマイアはもうひとつの故郷ともいえるし、ひさしぶりに訪れれば郷愁を感じるのは自然だろう。それなのに、ディアスは相好そうごうを崩さないままだ。
「不服があるのなら、なぜ陛下に申し立てをしなかった?」
 ブレイヴは何度か目を瞬いた。持ち出す話題にしてはこの場に相応しくはない。
「ディアス、何を言ってるんだ?」
「お前の顔に書いてある」
 顎でしゃくられて、ブレイヴは慌てて頬を手で拭う。
 異論などあるはずがない。よしんばあったとしても、申言できる立場ではないことなどディアスも理解しているだろう。ブレイヴはしばし親友の顔を観察する。情を含まない物言いにしても、無を通した表情もさすがだと思う。ただ、ブレイヴはささいな動きを見逃さない。
「きみの方が不満そうに見えるけど?」
 反撃を受けてディアスの目が細くなった。どうやら当たっていたようで、見破れたのは長い付き合いだからだ。
「不満というわけではない。だが、お前が選ばれた理由が腑に落ちないだけだ」
「それを、不満って言うんだよ」
 にこりと。ブレイヴが笑ったのを見て、ディアスは意味ありげに嘆息する。不快感よりも呆れの方が勝っているのは気のせいだろうか。
「聖騎士なら他に二人いる。それもマイア直属の」
「だからこそだよ。彼らはマイアを守ることが第一だ。動けるのは俺しかいない。そうだろ?」
 まるで自分に言いきかせているみたいだ。ブレイヴは思う。聖騎士の称号を下賜かしされたのは三年前、そこにたどり着くまでには相応の労苦を伴ったものだがブレイヴはあまり思い出したくはなかった。ただ、忘れなければいい。それだけだ。なにより、ふさわしい身分でなければいけない。これに関してはアストレア公爵家の御曹司であるから申し分はないはず、もっともここまでアストレアが王家に近しい家柄となったのも、王家の子らと親しくいれたのも亡き父親の偉力によるものだが。
「お前は人が良すぎる。いつか痛い目をみる」
 忠告のようであり、警告でもある。いつになく辛辣な親友の声にブレイヴはため息を吐きそうになる。らしくないと、思った。
「それとこれとは話がちがうよ。これは陛下直々の命令なのだから」
「三万の兵と共に異国にて命を捨てるつもりか」
「それは」
「聖騎士といっても人間だ。あからさまな戦力差であっても勝利に導く? 奴らは本気でそう思っているのか? 夢物語だな」
「ディアス」
 思わず声が大きくなってしまった。ブレイヴは周囲を見渡す。やはり人の姿はなかったが、他にきかれて気持ちのよい話というわけでもないだろう。案じてくれているのはわかる。とはいえ、これでは親友の立場の方が心配になるのだ。ここまで攻撃的なディアスは稀だ。これでは敵を作りかねない。
「お前らしくもない言葉だな。どこで誰がきいているかもわからないぞ」
「構うものか」
 あっさりとした返しに、ブレイヴはそれ以上唇を動かせなかった。
「所詮、マイアはマイアの人間で事を進めたい。だからこそ邪魔なんだ。よく思っていない者もいるということだ」
それは、たしかにそうだろう。あの軍事会議にディアスも末席に臨席していた。鳩首する要人たちの声はあまりに理想的で、しかし覇権は己の手にあるものだと信じている。さすがに公爵家の人間を軽んじたりはしないが心の声はまた別で、そこらの騎士とおなじ扱いなのかもしれないし、国王陛下と昵懇じっこんの仲となれば目障りと思っているようだ。 
「俺は今日、国に帰る」
「レオナとの約束は? きっと悲しむよ?」
もうひとりの幼なじみの名を出せば、そこでやっと表情に動きが出た。ディアスはふた呼吸を置く。 
「一昨日に会った。だからお前が行ってやればいい」
 とはいうものの、挨拶くらいでゆっくりと話す間もなかっただろう。久々に再会した幼なじみと別れるのは名残惜しい。それなのにディアスはもう背を向けようとする。
「武運を祈る。死ぬなよ」
 去り際に残された声にブレイヴは深くうなずいた。次に会えるのはいつだろう。戦場でないことを願いたい。
 
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