一章 イレスダートの聖騎士

はじまりとおわりと

 帰還したブレイヴを待っていたのは、上官の容赦ない罵倒の嵐だった。
 総指揮官に報告せず自身の判断のみで動き、また斥候役をブレイヴ自身が行ったことに対しても口汚く痛罵《つうば》される。ランドルフはブレイヴに反論する余地を与えず唾を飛ばしながらつづけ、そうして敵の将官を前に、対話のみで終わらせたという事実をもっとも厳しく追及する。今回ばかりは弁明も反駁《はんばく》もする気にはなれなかったし、してはならないと思った。ブレイヴは許しがあるまで頭を低くするだけだ。
 次に王都で軍法会議が開かれたそのときに、貴様の聖騎士の称号は剥奪されることだろう。
 冷笑とともに吐き出された声にもブレイヴは反応しない。マイアでどれほどブレイヴに味方する者がいるかはさだかでなくとも、ただしく、公平に裁かれるのであれば必ずしも愚行とはいえないはずだ。この目でみて、この耳できいたすべての情報にも意味はあるし、何よりもブレイヴはあの銀の騎士にイレスダートの王の言葉を伝えたのだ。いずれルドラスの覇王の耳にも届くだろう。両国の関係は長き戦争によって冷えきっているが、停戦協定調印式が再び現実のものとなればそれも変わる。そうすれば終戦も夢の話ではなくなるかもしれない。そう、願いたい。
 だが、ランドルフからしてみれば、これは常軌を逸した行動に見えたようだ。
 傲慢かつ粗野なたちである上官にすべてを理解してもらえるとは思わない。ブレイヴはただ、それにこらえる。その言動が後に何をもたらそうとも、けっきょく非があるのはブレイヴだ。懲罰を受けることは避けられず、だからブレイヴは覚悟を決めていた。ランドルフはそこに付け込んだようにあたかも正当だといわんばかりに言い放った。聖騎士を拘束し、ただちに投獄せよ、と。しかし、それには止めが入る。
「ランドルフ卿のおっしゃることはもっともです。ですが、聖騎士であるこの方を牢に処するというのは、卿の……、いえ、軍やその上に立つ王の外聞に関わるのではないでしょうか? このような事態になり、冷静ではいられなくなるそのお気持ちはわかります。だからこそすこし落ち着かれて、いま一度ご遠慮ください」
 主の潔白をただ訴えるのでは逆効果であるから、上官を顧慮《こりょ》するような言い方をする。ブレイヴはジークの横顔を見た。感情を読み取らせない目はまさしく騎士のそれだ。ランドルフにもそう見えているにちがいない。しかし、ブレイヴは一度呼吸を止める。そうして、そのときにやっと己がいかに短慮であったかを知った。ジークは怒っているのだ。
 その後、囚獄こそ免れたもののブレイヴはあらゆる権限を剥奪された。
 軍事に携わることも新兵の指導も、またアストレアの騎士たちが合同訓練に参加することも禁じられた上に、見張りに立つことすら許されない。軟禁までは至らなかったがそれに近い状態だ。同郷の者はともかく、マイアの騎士やガレリアの兵士たちもブレイヴにどこかよそよそしい態度でいて、目もろくに合わせようとしない。居心地の悪さから部屋に籠もっていたブレイヴも、さすがに三日が過ぎれば時間を持て余すだけになってしまった。身の回りはジークがすべて見てくれるから問題ないのだが、彼は彼で余計な声を一切せずにブレイヴをもっと憂鬱にさせる。ここまで従者が不機嫌を隠さないのもめずらしく、いつ以来だったか思い出そうとしてやめた。どちらにしても、彼がそういう顔でいるのはブレイヴに非があったときだけだ。それにランドルフ――いかに、総指揮官とはいえどそのやり方は苛斂《かれん》すぎると思っているのかもしれない。誰だって主を軽視されればそれなりの怒りを持つのは自然だ。
 ブレイヴは途中まで読んでいた本を栞も挟まずに閉じた。
 そこそこに分厚い本でも、三時間ほどあれば読み終わってしまうのにどうにも進まなかった。立ち上がって肩や腕を運動させて、次に視線を机に向けたが報告書のつづきをする気にもなれず、またカウチに座り直す。扉をたたく音がきこえたのはそのときだ。
 どこか控えめに、けれどたしかに三度音がした。どうぞ、と。ブレイヴが入室を許可してもまだ扉は開かれず、しばし待ってみてもおなじだったので自分から扉を開けた。ブレイヴを見上げる幼い瞳にはどこか怯えの色が見える。
「心配しなくてもいい。すぐに向かう」
 少年はただうなずいた。ガレリアの兵たちはブレイヴをおそれているのではなく、ランドルフを怖がっているのだ。白の王宮はなぜこんな男にガレリアを任せたのだろう。はじめて、ブレイヴは疑問を持った。しかし、それを言葉にすることは許されない。
「お呼びでしょうか?」
 最初の声はいつも決まっていて、それでもブレイヴはおなじ顔を作る。回廊を抜けて最上階へとたどり着くまでに先の問いは消えていた。ランドルフの底意地の悪い笑みがブレイヴを待っていたが、機嫌は良さそうに見える。
「なに、マイアの使者殿の到着を貴公にも伝えるべきだと思ったのだ」
 なるほど、そういうことか。従者を伴わずにひとりで来て正解だった。
「これは、ありがとうございます」
 慇懃無礼に、それでいてすこしの笑みを乗せる。
 ランドルフは一連の件をすべて王都へと届けているはずだ。多少の誣告《ぶこく》が含まれているかもしれないが、確実に王の耳にも入っている。そこからどんな懲罰が下されようともブレイヴの気持ちは動かない。騎士として、ただ受け入れるだけだ。とはいえ早すぎるとブレイヴは思う。王都マイアからガレリアまでそれだけ早馬を飛ばしたとしても、三日で往復は不可能である。ランドルフはそんな単純な計算もできないようだが、ブレイヴは冷静に上官の声を追っていた。王都からの使者。何か別の、急ぎの知らせがあったのではないかと。
「失礼します」
 ブレイヴは目を瞠った。想定外といえばそれは無礼になるだろう。イレスダートで女の騎士はめずらしくはないもの、しかし騎士の容貌は戦場より遠いところにあるようにも見える。貴人の護衛役や傍付きか、どちらにしてもただの使者ではないことはたしかだ。なによりも騎士の軍服の色がそれを物語っている。マイアで白の軍衣を身に纏うのは限られた者たちだけだ。
「これはこれは。お待ちしておりました」
 ブレイヴを押しのけるようにして、ランドルフは使者を出迎える。媚びた声色に嫌悪を抱いたのか、騎士の眉間にほんの一瞬皺が刻まれていた。 
「私は国王陛下の声を預かって参りました。従って、お伝えするのはアストレアの聖騎士殿だけです。卿にはご退出願いたい」
「なっ……! しかし、」
「陛下の勅命に背かれるのですか?」
 騎士の物言いには軽蔑が見え隠れする。もとがそのような気質なのか、相応の身分にあるゆえなのか、相手を気遣うような一切の無駄がない。ランドルフはまさか自分が軽視されるとは思わなかったのだろう。
 騎士は目顔で促す。出て行けと、それは忠告よりも誡告に近かった。
 ブレイヴはさすがに同情する。自尊心が高い上官のことだ。こうも恥をかかされては心中穏やかでいられないはず、それでも従わざるを得なかったようで、舌打ちを残して扉の向こうへと消えた。騎士は無遠慮に嘆息する。不快感を隠すつもりもないらしい。 
「ブレイヴ殿、先ほどは陛下の勅命と申し上げましたが、実はそうではないのです」
 ただ、声はもうすこし人間らしいものへと変わっていた。ブレイヴはつづきを待つ。
「これは内々のことであり、またイレスダートの聖騎士としてではなく、アストレアの公子殿として受けて頂きたいとのこと」
「私個人として、ということですか?」
 騎士は視線を横へとずらしてブレイヴを誘導する。それまでブレイヴは気がつかなかったのだが、そこにはもうひとりがいたのだ。
 背が低いのでまだ少年なのだろう。顔は、フード付きの外套で足元から頭までをしっかり隠しているために判別ができない。
「この方を、アストレアにて預かって頂きたいのです」
 興味本位でその人を見ていたわけではなくともブレイヴは叱責された気分になった。よほどの要人だということは理解したもののブレイヴには思い当たりがない。雰囲気にしても服装からも騎士には見えず、あるいは王家に連なる魔道士か。いくら巡らせてみても答えには行き着かず、そもそもこんな辺境の地へ連れてくる意図が読めないのだ。それに、アストレアを出したということは、やはりブレイヴはガレリアを離れることになるのだろう。どこか、何かが妙だと、ブレイヴが感じたときに、その人は騎士の制止を無視してブレイヴの前へと進み出た。
 息をすることも、声を出すことも忘れていた。ブレイヴはただ呆然とし、フードから零れたその色を見る。青。それならイレスダートの人間には稀な色ではなかった。ブレイヴもおなじ、相対する騎士もまたその色だ。けれども、そうではない。背に流れる髪の毛も、長い睫毛に縁取られた双眸も誰よりもうつくしく、神聖だった。ブレイヴはそれをよく知っている。こんな北の辺境とはほど遠いひと。イレスダートの王女。ブレイヴの幼なじみが、そこにはいたのだった。 


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