一章 イレスダートの聖騎士

軍事会議

 飛び交う怒号はいつものことだった。
 軍議を行うために作られた部屋では、声が良く響く。国の命運をかけた軍議だというのに、物議は平行線をたどったままで一向に進もうとはしない。声を荒らげる者、忙しなく書類を捲り確認をする者、大声に負けじと卓上をたたきつけて威圧を与える者に、とにかく早口で捲し立てて相手の隙を許さない者もいる。そこには三十人が並んでいるが、中心となっているのは実に十人程度だ。
 隣国との折り合いが悪いのはよくある話だ。対立し、抗争は長きに渡ってつづいているためにその終わりは見えない。
 百年ほど前のことであろうか。事のはじまりはじつにくだらないものだったという。
 マウロス大陸にはさまざまな国が存在し、南のイレスダート王国は大国であった。一部を除くとはいえ緑豊かな土地を多く持ち、特にここ王都マイアは栄華の象徴でもある。かわって北の王国ルドラスは沃土よくどに恵まれず荒れ地も目立ち、人口の割には人が住める場所も少ない。それゆえに北は南を疎ましく思っていたが、彼らはけっしてそれを口に出したりはしなかった。
 しかし、歴史が長くつづけばそうもいかなくなる。
 南の王国は北を蛮族の国であると罵ると同時に、人間の扱いをしなくなった。矜持を失った北の王国が憤懣ふんまんをあらわにするのは当然で、また貧困に喘ぐ民の怒りは北の王へと向かう。王が王であるために必要なものはひとつしかない。それが、最初の戦争だった。
 剣を取れ、槍を取れ、矢を放て、盾を持て。国を守れ、土地を守れ、親を守れ、子を守れ。
 醜く、憐れで、終わることのない争いは今日までつづいている。しかし、それもまた諸説のひとつであった。そう。いつだって戦争に理由など必要ないのだ。
 向かいに座る初老の侯爵が懐から懐中時計を取り出した。時計の針はとうに夕刻を過ぎている。ブレイヴはため息をつきたくなるのをぐっと堪えてていた。
 発言権を持つのは王家の傍系ぼうけいや近しい家柄の者、あるいはそれなりの地位や立場の者だけだ。長机の上座には沈黙を守っている国王がいて、それを取り囲むようにして要人たちは並んでいる。真ん中以降にはいずれも名のある諸侯、もしくは騎士だというのに発言は認められておらず、ブレイヴはそのうちのひとりだった。
「三万だとおっしゃるのならば充分に防げます。そうでなければ城塞都市の役割は果たせません」
「だが、国境付近に集まった蛮族は七万以上だと報告には上がっている。それではとても持ち堪えられまい」
「すべてがガレリアに攻めてくるとは限らぬ。そちらに任せておけばよい」
「無敗の将のいる公国に挑むほどの阿呆だとでも言いたいのですか? 蛮族共にも、そのくらいの知恵は持ってると考えるべきでは?」
「ともあれ、援軍を出す必要などないということだ」
「しかし、それでガレリアが破られたら、誰が責任を取るのというのだ? 何より、次にはこのマイアが危うくなるのだぞ」 
「同意致します。奴らを城塞都市より南へと踏ませるわけにはいきません」
 先ほどからこれの繰り返しである。所詮は机上の空論にすぎず、不毛な時間であっても要人たちは唾を飛ばし合っているだけだ。他人事のように物を言い、己のただしさだけを主張する。ここに集められた情報のどれもが不確かなものであっても、要人たちは声を止めようとはしなかった。
 そのうちに深いため息が落ちた。つづいて咳払いがきこえる。だが、鳩首きゅうしゅする者たちには届かぬまま、これでは日付が変わっても結論は出ないだろう。数呼吸前から目顔でなにかを訴えてくる者がいるが、ブレイヴは表情を動かさない。聖騎士とはいえども、ここでの発言が許されなければ置物と一緒だ。
 その隣で腕を組む白髯はくぜんの騎士のように、あるいは渋面を作っている壮年そうねんの騎士のようにしているのが正しいやり方にちがいない。しかし、気持ちもわからなくはない。ブレイヴもまた、おなじ思いにはなるのだ。ひとたび勅令を与えられれば、軍地へ赴き剣を振るうのが騎士だ。守るべきもののため。すなわち、それは王家であり国であった。
 だから、どれだけ不毛なときが流れようとも、ここでは感情を押し込めて、物言わぬ石のように存在するしかないのだ。それが、騎士だ。ただひとつ、妙なのは彼らの王もまた黙したままということ、王の瞳は何も語らずにいたが、ついにそのときは訪れた。
「では、血で汚すというのか?」
 それは、決して大きな声ではなかった。
 しかし飛び交っていた怒声はぴたりと止み、立ちあがっていた者も糸が切れたかのようにがくりと腰をおろした。彼の、王の声は絶対であった。軍議がはじまってからはじめての王の発言だった。卓上に両肘をつき、手を組んで、それまでのくだりをじっと見つめていただけではない。彼らの王はすべてを見ている。
「このイレスダートを戦地にするつもりなのか?」
 もう一度、今度はよりゆっくりと王は言った。吸い寄せられるように皆の視線が向かう。
「あの城塞都市があってこそ、守られている形だけの平和を、なぜ理解できない?」
「しかし、それは」
「三万と言ったな。それもまた大軍であろうに。城塞が落ちれば逃げ場はない。民はどうなる? 見殺しにするというのか?」
「援軍を送るというのですか? ならばいっそこちらから仕掛ければ」
「ならぬ。それは許さないと何度も言ったはずだ」
 一言一句として見逃してはいない。
 アナクレオンは実に聡明な王であった。前王亡き後、齢二十三にて即位をし、一触即発だったルドラスとの争闘を無に返しただけではなく、それから五年の時を冷戦状態に保っているのは彼の力に他ならないだろう。アナクレオンが後の歴史に賢王と称される謂われはそこにある。 
「こちらが動けば、ルドラスは一気に攻めてくるぞ。そうなれば……」
 ごくり、と誰かの唾を飲む音がやけに大きくきこえた。この場は一人の力で支配されている。
「この王都を、マイアを。血で穢すというのか?」
 脅しでなければ、誇張でもなく。血で穢す。その一言だけで充分だった。
 聖王国と謳われるイレスダート。中心地である王都マイアが戦場となるなど誰も願ってなどいない。王も、要人たちも、騎士も民も。いや、イレスダートの歴史がそれを赦さないだろう。静まり返った聖堂で王は笑った。
「そうだな。となればこの私も戦地へと赴こうではないか」
 数名がぎょっとした。それと同時に悲鳴にも似た声がする。
「な、何をおっしゃいますか! 君主が敵地に向かわれるなど」
「私は王である前に竜の子の末裔だ。剣を掲げ光を掲げ、先頭に立って軍を導く。それがこのマイア王家の使命。まさか忘れたわけでもあるまい?」
 断固たる響きには冗談など伴わない。その場にいる誰もがそれを虚言だと受け取ると同時に絶句した。売り言葉に買い言葉だったはずだ。ともあれ、このアナクレオンという人物はそれを実現させる。だからこそ、おそろしい。
「お戯れを……」
 王のもっとも近くに鎮座する老人の声だった。
「戯言などではない」
「だとしても、王自ら出陣されるなど正気の沙汰だと誰がお思いか」
 揶揄したわけではなかった。王はそれが認められれば、すぐにでも実行させるだろう。しかし、それが夢物語だというのを老者は指摘しているのだ。
 王権が確立して以来、王に助言し、国を導いてきたのが元老院である。老者はそれの一人だ。たしかに彼らの介入がなくしてここまで王都マイアが、ひいてはイレスダートが繁栄を築くのは、不可能であったのかもしれない。だからこそ、その言葉は正しい。おそらくは王の次に。
 直諫ちょっかんした理由はひとつに留まらず、むしろ後者の方がより意味を大きい。イレスダートの情勢がそこまでに窮迫していると、敵はおろか民に誤解を与えてはならないためである。
 反論しかけてアナクレオンは止めた。深い海の色と同じ色の髪を掻きあげると、そのまま腕組みへと変える。演出された動きではない。はっきりとした苛立ちがそこには見える。
「ならばどうするというのだ? 私が納得するような策を、言い分を、きかせてもらおうではないか」
 吐き捨てられた言葉の他にも複数の鬱積が孕む。王は老者の反応を見てから声を紡ぐ。
「このくだらないやり取りを三時間もつづけていたのだ。さぞ具体案があるのだろう?」
 王の軽侮に各々はたちまち騒ぎ立てた。老者は片手をあげてそれを静めさせる。数呼吸の後にようやく声はなくなった。そして、その先をつづける。
「聖騎士殿に、お願いするのがよろしいかと」
 ただ一連の流れを見ることしかできなかったブレイヴの心臓の動きが速くなった。
「聖騎士に?」
「しかし、それは」
 場は再びざわめき立つ。ブレイヴはやはり沈黙し、次の言葉を待つのみだ。目も、口元も、表情を変えることをしてはならない。呼吸すら支配されている、そんな空間のなかにいるようだ。
「マイアの聖騎士殿には、ここを守って頂かねばなりませぬ。王都の守りを手薄にするなど誰が望みましょうぞ。ですから……」
 マイアの、と。わざわざ強調するそこに含まれた思惑が見え隠れする。ブレイヴはイレスダートが聖騎士の一人、だが他の二人からそれが選ばれないなど、名を呼ばれるその前からわかっていた。そう。緊張が何よりの証である。ブレイヴの手には汗が溜まっていた。
 視線を感じてブレイヴはそこへと目を移す。王が、笑っていた。
「よかろう。ただし増援は他にも出す。それで異存はないな?」
 与えられれば従うのが騎士だ。ブレイヴは大きく息を吸いこんだ。ここで口にするべき言葉はひとつしかない。ふた拍空けてブレイヴはアナクレオンへと平身低頭する。王の声に、もう異議を唱える者はいなかった。

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