fate 蕾〜アルウェンとテレーゼ〜


 春の太陽はどこまでもおだやかで、心地よさに身を任せてしまえば時を忘れる。
 聞こえてくるのは風の音に、鳥の声に。豊かな緑のにおいも、そのどれもがやさしいものだ。知らずのうちに眠っていたらしい。従者の何度目かの呼び声で、ようやくアルウェンは目蓋を開けた。
 気怠さを残した上体を起こし、欠伸の一つでも出せばより侍従の声が渋くなった。騒がなくても聞こえていると、生返事をしてみても逆効果なようで、せっかく良い気持ちでまどろんでいたのが台無しになる。仕方なく立ち上がると、読みかけていた本が滑り落ちた。身を屈めて拾い、そこで着衣が草まみれなことに気がついて、アルウェンは雑なしぐさで振り払う。後ろからの小言は止みそうにもなかった。右から左へと受け流そうとも思っていたが、今日ばかりはそうもいかないようだ。
 騎士の訓練がある。軍事の会議がある。知人との約束がある。妹が熱を出した。ひととおりの嘘ごとを並べてきたのだから、それもとうとう理由に尽きてしまった。今日という日を忘れていたわけではない。今日という日を避けてきただけだ。逃げていたとしても、先送りにしていても、何にもならないというのに、これは悪あがきだったのかもしれない。
 不満があるわけでもなければ不安に思うこともないはずだ。それが前々からの定めであるなど、とっくに受け入れている。それなのに――。
 気乗りがしない理由を言ったところで、いまさらどうにもならないだろう。意識せずとも勝手に出てきた溜息は、せめて侍従に聞こえないように落とした。
 普段は大人しい父親が強硬策に出た。だから、彼女は今、この場所にいる。侍従が着替えをしてから向かうようにとうるさく言うが、アルウェンはそのままの格好で向かうことにした。そこまで薄汚れていないので何の問題もないだろう。反対に、泥だらけの汚らしい姿で出て行ってみるのも面白い。いっそのこと嫌われてしまえば、この話が破談になるかもしれない――と、考えたところで止めた。ここまで卑屈な考えも、現実逃避も、アルウェンらしくなかった。せめて怖がらせないようにしてくださいと、侍従は溜息交じりに言った。怖がるような相手との縁談。馬鹿げているなと、アルウェンは嘲笑する。さぁ、笑顔を作り変える時だ。思考のすべてを変える。
 扉を軽くたたけばすぐに「はい」と返ってきた。思っていたよりも明るい声に戸惑いつつも、アルウェンは扉を押し開ける。
 少女、だった。
 当たり前だ。彼女はまだ十にもならない子どもなのだから。行儀よく椅子に座っていた少女は、アルウェンが近づくよりも早く行動をする。淑女のように優雅で、それでいて丁寧に会釈をして、
「はじめまして、アルウェンさま。わたしはテレーゼです」
 にこりと笑った。子どもの笑顔であって、けれど子どものものとは違う。型どおりのしぐさは、よく教え込まれたものだとすぐに分かった。亜麻色の髪を平織のリボンで一つに纏め、唇には薄い桃色を塗って、ふんだんにレースが使われたドレスに身を包むさまはずいぶんと大人びている。テレーゼの大きな目はそのまま真っ直ぐにアルウェンを見つめて、声を待っていた。どうしたものかと、アルウェンは心中でつぶやく。健気な少女を悪戯に傷つける趣味など持ち合わせてはいないが、嫌われてみるべきか。
「父上に習ったのかな? それとも母上に?」
 何を言っているのか、即座にのみ込めずに少女はきょとんとする。それでも瞬きを繰り返した後に、テレーゼははっきりと答えた。
「いいえ。アマリアに習いました」
 正直に、隠さずに。意図を理解しているのか、否か。アマリアというのはおそらく侍女のことだろう。問われたものをそのままに応えるのは、彼女がまだ子どもだからだ。こわくは、ないのだろうか。別に威圧を与えているわけではないが、初対面の大人の男に対して少女はひとつも緊張している様子がない。しっかりと礼儀作法をたたきこまれているのか、それにしても――。
「普段の通りに話してもいいよ?」
 大人気ない意地悪をすることは止めた。アルウェンが顔をやわらげると、少女はふしぎそうに首を傾げて、おっかなびっくりと紡ぐ。
「ほんとうに?」
 ふわりと、花がほころぶように。嬉しそうにテレーゼは笑って、そこでようやく年相応の顔を見せたのだ。









 八歳というのは扱いに難しい歳だった。
 まだ子どもではあるもの、むやみやたらと子ども扱いするわけにもいかず、だとしても大人と同じように接するのも違う気がした。
 アルウェンには歳の離れた妹がいる。けれど妹のロアはテレーゼよりもまだ二つ下であり、本当に子どもだ。絵本の読み聞かせをしたり、文字を教えたり、そうして妹とは接してきたが、同じことをテレーゼにするわけにもいかない。そう、何よりもテレーゼは同じ年齢の少女よりも大人びているのだ。言葉使いは丁寧で、受け答えもしっかりしている。表情は子どもらしくころころと変わるが、こちらに対して必要以上に入り込んではこないのだった。
 およそ聞き分けの良い子どもに躾けられてきたのだろう。その全ては公爵家に嫁ぐためだとしたら、ここで安易に彼女を拒否してしまうことは、彼女自身を否定してしまうような気がしてならなかった。相手が子どもだから受け入れたくなかったのか。それともこんな小さいうちから勝手に将来を決められた彼女に同情していたのか。アルウェンはひとつ溜息を落とす。
「アルウェンさま?」
 大きな瞳がのぞき込んでいた。
 嫌ではないのか、と。それを訊いてみる勇気はアルウェンにはなかった。
 まだ少女の婚約者と会うのは月に三度。これが十回目になるが、いつ会ってもテレーゼの表情は明るい。お茶をして、他愛もない話をするだけの時間、それも回数を重ねれば次第に話題にも尽きてくる。
「おはなしを、ききたいです」
 彼女は決まってこう言った。絵本や物語のことかと尋ねてみたが、アルウェン自身の話を聞きたいのだという。身の回りの話に家族の話に、妹の話に。女の子が喜びそうな話をいつまでも持たないので、困った最後には剣の話や騎士の話をするようになってしまった。それでもテレーゼは、星が瞬くようなきらきらとした瞳を向けて、喜んで聞いてくれるのだ。
 はじめは、まだ彼女が少女だから純粋なのだと思っていた。あるいは決められた相手に沿うようにと努力しているのかとも思った。ある時に気がついた。そうではなく、彼女がテレーゼだから純粋なのだ。この年の離れた大人の男に向ける瞳は、子どものものではなく、愛を知っているのだ。
 










「どう愛したらいいのか分からないんだ」
 しばしの沈黙が訪れた。
 隣にいる男はもともと口数の多い方ではないので、相槌を返すだけもよくあること、だがいつまで待っても返事はなさそうだ。アルウェンは横顔を盗み見る。
「なにか、可笑しなことを言っただろうか?」
 他意はない。ありのままを口にしただけだ。ヘルムートの顔は固まっているし、どことなく頬が赤く、瞬きの回数も増えている。めったに動じない彼のこの反応はめずらしいものだった。
「い、いや……」
 視線を合わせようともしない。ヘルムートは開きかけた口も閉じていた。
 ここ王都マイアにて、ともに学んだ友と呼べる人で、気ごころの知れた間柄でもあった。取り繕う必要もなければ、気軽に相談事もできる相手だ。彼にも婚約者がいて、それも半年後には婚儀が行われるという。だからこそ訊いてみたかったし、助言の一つや二つがほしかったのだ。
 青を流れていく雲の動きが早くなった。二人は屋根のある場所まで移動をする。マイアのこの時期は特に変わりやすい。まもなく雨となるだろう。
 声は返ってきそうもないのが残念だが致し方ないことだと、無理やりに閉じ込める。ヘルムートもまた政略による婚約だった。公爵家の子として、それがごくふつうであり、アルウェンのヘルムートもそれを不服に感じているわけではない。ましてや、二人は騎士だ。いつ何時《なんどき》戦場で果てるかもしれない身、こういったことは早めに割り切ってはいる。
「そのままで、いいのではないか?」
 聞き違いだったかと思うほどに小さな声だった。恥じらいが交じっているのか、ヘルムートは咳払いをして誤魔化している。
「その、君は普段のままで、正直なままで」
「しかし、彼女はまだ子どもなんだ」
 テレーゼは十歳になったばかりだ。彼女が大人になるまでに、もう十年は時を要するだろう。待つことはできる。だけどその間の時間を無駄にはしたくはない。
「子ども、扱いをしているのか? 君は」
「違う。私はテレーゼと向き合っている」
「それがそもそも間違っているのではないか? 彼女に望んだことを、君自身がしていなくてどうする? 作った関係でいいのか? それは」
 いいはずがない。受け入れているつもりでも壁を作っているのはアルウェンだ。ぎこちなく唇の端を持ち上げて、それから友人の方へと目を向ける。ヘルムートはもういつもの顔へと戻っていた。
「いや、すまない。忘れてくれ。私らしくもないな」
「いいや。意外な一面が見れたよ、ヘルムート」
「上手くは言えないが、その、難しいものだな。色々と」
 声は雨の音に消えた。置かれた立場や状況に何一つ感じないというのは嘘になる。それでも、それは騎士には必要のないだろう。多くを望んでしまうのはアルウェンがひとりの人間であるからだ。










 聞き分けの良い子どもだった。最初に会った時から彼女はそうだった。
 もっとも、アルウェンは彼女を子ども扱いしたことはない。小さな婚約者は十三歳になっていた。背が伸びて女性らしい膨らみも目立つようになり、華やかさこそないが、どこか儚げな美しさは人の眼を引くのに十分だった。少女、と呼ぶには相応しくはないだろう。もとよりテレーゼは思慮深い人だ。だからこそアルウェンは報告を受けた時に耳を疑った。
「それで? いつから見つからないのだ?」
「朝の食事が終わった時にはいらっしゃったのです。ですが、いつもと違うご様子でしたのは昨晩からでして、お身体の具合でも悪いのかと問えばそうではないと、でも理由は言ってくださらなかったので……」
 早口で捲し立てるように続ける侍女をひとまずなだめて、アルウェンは少しばかりの間を空ける。いくら考えても思い当る節がない。そもそも彼女と会うのが三か月ぶりであり、どれほど楽しみに待っていてくれただろうと勝手な考えをしていたのは、アルウェンが彼女に会えることを楽しみにしていたからだ。ここへきて嫌われてしまったというのか。だとすれば心の空白は寂しさという言葉だけでは埋まらない。
「ともかく、私も彼女を捜そう。テレーゼが他に行きそうな場所は? 一つずつあたってみよう」
「ア、アルウェン様……」
 アマリアが戸惑うのも無理はない。悠長に彼女を捜している時間の余裕などアルウェンにはなかった。明日、アルウェンはオリシスをたつ。行き先は王都マイアではなかった。騎士として与えられた勅命を果たすためだ。
 だからこそテレーゼには会っておきたかった。無論、アルウェンにはこれが最後だなどと思ってはいない。だが、その可能性はいつだって捨て切れないのだ。
 ひょっとしたらアマリアの早とちりであって、自分の屋敷へと戻っているかもしれない。アルウェンははじめにそこへと向かったが、出迎えてくれたテレーゼの父母も困惑した様子だった。行き先を告げずにどこかへと一人で出て行くことなど今までになかったという。あの聞き分けの良い少女は、両親にさえも我儘一つ言わずに育ってきたようだ。
 そういえば、と。アルウェンは記憶を総動員させる。しかし、どうしても笑顔しか思い出せなかったのは、テレーゼの他の表情をあまり見たことがなかったからだ。怒った顔に泣いた顔、困った顔は見たことがあるが、最初の二つは覚えがなく、アルウェンはかぶりを振る。彼女が感情に乏しいわけではなかった。それでも、もしかしたら、これまで自分を偽ってきたのだとすれば――。
「テレーゼ」
 声は虚しく落ちた。
 城下町を歩いて、教会にも赴き、丘を上がり、それでもどこにも見当たらずに。最後にたどり着いたのは、彼女とよく会話を楽しんだアルウェンの自室の前にある庭園だった。
 諦めではなく、確証がなくても、アルウェンの足は自然とそこへと向かっていた。季節が過ぎ去った薔薇には彩りは見当たらず、荊が覆い茂るだけ、いるはずのない場所で葉と葉の擦れ合う音が聞こえれば、彼女はそこに小さくうずくまっていた。
「テレーゼ。どうして、」
 アルウェンは思わず彼女の手を取った。やや乱暴に奪い取ったがために、テレーゼの表情は固い。
「アルウェンさま。私……」
「何があったのか、言いなさい。皆が心配をしている」
 叱るつもりはなかったのに口調は厳しくなってしまった。冷え切った手に、アルウェンはもう少し力を入れる。テレーゼの動きかけた唇は閉じてしまった。目には悲しみと怖れの色が見える。はじめて、見る顔だった。
「いや、なんです……。私は、」
 つぶやくように。落ちた。
 ああ、そうか。それならば無理強いしてはならない。アルウェンはゆっくりと目蓋を閉じた。テレーゼはこれまで演じてきただけなのだ。親の言いつけを守って、その通りに生きてきただけなのだ。そこには本人の意思など要らなかった。持ってはいては苦しくなるだけだ。健気な少女はひたすらにそれを守り続け、その意味を知らずにいた。それが、やがて大人になり、自覚する時がきたのだ。
「分かった」
 みなまで言わせなくてもいい。アルウェンは笑んだ。
「私から父上にお願いをする。望まぬものを押し付けたくはない。君はまだ若い。他にも道はきっとある。だから、」
「あ、アルウェンさま」
「何も心配することない。君や君のご両親を責めるつもりもないよ、私は」
「ち、違うんです! その、私、私は……」
 テレーゼは首を横に振って遮ったが、アルウェンはそれが本心ではないと思った。優しい人だから、他人を思いやって自分を偽ろうとする。縛り付ける権利などアルウェンにはない。悲しく思うのは、それだけの時間を二人が過ごしてきたからだ。
「違うの。私は、」
 お願いだからきいてと。彼女の瞳が訴えている。
「あなたに、行ってほしくない」
 一筋の滴がテレーゼの頬を伝った。
「何を……」
 言っているのだろうと。アルウェンは驚いていた。
 これまでもオリシスを離れることはあったし、戦地へと向かうことだってあった。今回だけが特別というのではない。物分りの良いテレーゼが、それを分からぬはずがなかった。
「行かないで」
 後に続く涙を拭いもせずにテレーゼは言う。
「おねがい。お願いですから、行かないでください……」
 だからいなくなってしまったというのか。小さな子どもが駄々をこねるかのように。彼女は、はじめて我儘を見せていたのだ。
「せんそうは、いや」
 かなしいのだと、苦しいのだと、つらいのだと。彼女は泣く。
「ああ、そうだね。でもね、テレーゼ。それが私の役割なんだ」
「そんなの……」
「うん。私も戦争は嫌だ。望まない。人を殺すこともいつまでたっても馴れない。仲間が倒れていくこともまた恐ろしい。逃げ出したくなる時もある」
 でもね、と。アルウェンが囁けば、テレーゼの瞳が揺れた。
「それでも守りたいものがある。私にしかできないことがあるんだ。だから、行く。死ぬためでもなく、殺すためでもなく、生きるために」
 偽善であると。言ってしまえばそれまでだ。血と血を流して、命と命のやり取りをする。戦わなければ殺される。奪うのは命。奪わなければ守れないものがある。
 みなまで伝わらなくてもいい。アルウェンは微笑する。テレーゼはやがて騎士の妻となり、公爵の妻となる人でも、今はひとりの人間でしかない。それこそ、おそろしいだろう。理解しろといっても、無理があることだ。それでも、アルウェンは声を強くする。
「信じて、待っていてほしい。強くなれとは言わない。けれどテレーゼ、君には。待っていてほしいんだ。帰ってくるために」
「かえって、くる?」
「そう。帰って来れるように」
 指で触れた滴は熱かった。そのはずだ。これは、彼女の心そのものだった。触れてはならないものに触った気がして、アルウェンはそこで手を止める。そうして、ようやく気がついたのだ。
「帰ってくるよ。必ず」
 見たかったのは彼女の笑顔。唇をゆっくりと外せば、そこにはいつものように微笑むテレーゼがいた。










 死は、ある日突然に訪れるものだった。
 そこに立ち続ける限り、常に生と死は隣り合わせにあるだろう。剣を持ち戦う。他人の命を奪うということは、自分の命も奪われるということだ。それが来ただけ、嘆く必要などないのだ。
 とても助かるような傷ではなかった。それでも、アルウェンは生きた。腕に、肩に、腿に、背中に。負った傷はどれもが深く致命傷となるもので、治癒魔法に長ける魔道士の四人がかりでどうにか生を繋ぎ止めた。出血が止まったところで、切り裂かれた皮膚も肉も再生を拒み、指の一本もう動かせないほどの激痛が絶えず襲った。高熱は七日を過ぎても下がる気配はなく、このまま体力が尽きればそれまでだと、誰もが彼の生を諦めていた。
 しかし、アルウェンは決して諦めていなかった。だからこそ、アルウェンは生きているのだ。ずっと誰かの呼ぶ声が聞こえていた。声に応えたくとも、枯れた喉からは何も出て来ずに、また途切れ途切れの意識は、アルウェンを現実へと戻すことを許さなかった。
 呻吟《しんぎん》しながらもアルウェンは祖国の情景を見た。
 緑の色濃いにおいがする。季節を謳う彩り豊かな花のかおりもする。青の空にゆっくりと流れゆく白の雲が見える。やわらかく頬をなぜる風はいつも心地のよいものだった。
 オリシスの豊かな自然の中で生まれて、そうして育ってきた。かえりたいと。アルウェンは強く望んだ。そこが、あるべき場所なのだと信じていた。
 帰りを待つ人がいる。どんな姿であっても、どんなに惨めであっても、罪を背負おうとも、業を償うべきであっても。帰りたいのだと。アルウェンはただ、ひたすらに。望んでいた。












 最後に交わした会話はほとんど覚えていない。
 けれど身体を気遣う声だけは、やけにはっきりと耳の奥に残っている。労わるような群青の瞳から逃げたのはアルウェン自身だ。そこに同情が孕むのであれば、屈辱以外の何物でもなかった。それはアルウェンから騎士の矜持を奪うことと同様の意味だ。
 彼は、アルウェンは剣を捧げて、誓いを立てる唯一の主君であり、同時に気を許せる友人でもあった。ゆえにアルウェンは危険視されていたのだ。王に近しい存在として、甘言を与える存在であると、見なされていたのかもしれない。
 ただ、一度きりの失敗は、アルウェンから騎士という称号を剥奪こそしなかったが、それに等しい罰を与えられたのだった。
 アルウェンは甘んじて受ける。それは、償いであった。
 いかに姦計《かんけい》に陥ったといえども、その責は取らねばならない。本来ならば、死罪にあたるところを免れただけでもありがたいと思うべきだ。
 されど、奪われたのは命そのものではなくても、アルウェンの騎士としての生はすでに尽きていた。もはや二度と、この白の王宮に足を踏み入れることなど叶わないだろう。戒めを背に受けてその生涯をかけて償うために、今のアルウェンはいるのだ。
 そこには非難が付き纏うかもしれない。呪いの言葉を吐き掛けられるかもしれない。アルウェンはただ、前を向く。どんな声であろうとも、視線を下げることは許されなかった。否、自分自身を許せなくなるのだ。
 従卒、ならびに軍師など、アルウェンの麾下《きか》の兵には責を取らせず、アルウェンは一人でそれを受けた。アルウェンは王の前でそれだけを声にする。罰を受けるのは己一人でいい、と。
 当時のアルウェンの軍師はまだ若く、森と湖が豊かな隣国から軍事を学ぶために遣わされた青年だった。アルウェンの甘さに怒りを露わにする。従えるものではないと、声を荒げたのは、軍師がアルウェン以上に責を感じていたからに違いない。アルウェンはことさらやさしい笑みをし、軍師をあるべきところへと帰してやった。ところが、その青年は姿を消す。己の生きる意味を見失ったのだろう。
 アルウェンは白の王宮を後にする。
 どこにいても、友だということには変わらないと、彼は言った。そういう甘いところがあるのだ。そういう人だからこそ、彼の騎士でありたかった。
 王である前に彼もまた一人の人間であると、アルウェンはそう思う。時として間違うこともあれば、過ちを犯すこともあるのかもしれない。その正しさをもって、彼が己の道を突き進むのであれば。アルウェンは声を大にして訴える。彼の周りは敵ばかりである。孤独の闇に捉われぬようにとそこから救い出すのがアルウェンであれば、また失望の闇へと足を踏み入れた時に手を差し伸べるのもアルウェンの役目。だから、アルウェンはアナクレオンの友であり続けた。 
 栄光と希望と夢の都。王都マイア。去りゆくアルウェンは振り向くことをしなかった。









 泣き顔も見た。怒った顔は本当に稀なもので、よく笑って、時には困ったりと。そうした表情のひとつひとつは彼女が成長するにつれて、ふたりの過ごした時間が長くなればなるほどに、また新しい発見もあるはずだ。
 足音を忍ばせて来ているつもりなのだろう。そろりと、音を立てずに近づいて来るのが何とも可愛らしい。十七になったというのに、テレーゼはこうした子どものような行動を取ることもある。笑ってしまわぬようにと、アルウェンは顔の筋肉に力を入れていた。彼女がそおっとのぞき込んだその時に目蓋を開けてみれば、
「まあ! 起きていらしたのですね」
 頬を膨らませてテレーゼは不満顔へと変わる。やはり驚かそうとしていたらしい。
「君が、来る日だからね。起きていたんだよ」
 はたしてどこまで偽れるかどうか。まどろみに溶けていた身体を起こして、アルウェンは微笑む。けれどテレーゼの眼はまだ不安そうにしていた。
「でも、あまり動いては」
「心配はいらない。動かない方が、かえって身体に悪いと言われたんだ」
 これは本当だ。彼女を安心させる言葉ではなくても、アルウェンはもう少しだけ声をやわらげた。
 外へ出ようと、声を掛けてもテレーゼは気づかうことを止めなかった。今日は風が強く冷える。だからといってそんな病人扱いばかりされるのも困りものだ。
 綿のような雲が流れていき、緑を失った木々は寂しいものだった。やがて冬が来て、それから春が来て。いくつの季節をともにいれるだろうか。幼かった少女は美しく成長をした。アルウェンは彼女をずっと見てきた。色んな表情を見てきた。強さも弱さも知った。あと半月もすれば、彼女は花嫁となる。思えば長く待ったものだと、アルウェンは心の中で笑んだ。同じほどの時間をこれからも、ともにありたい。否、それ以上の時間を望みたい。
「テレーゼ」
 視線が結びつけば、花が綻ぶようにテレーゼはふわりと笑った。
「はい」
 愛らしく返ってくれば、アルウェンは次を言うのを少しだけ躊躇った。笑顔を消したくはなくても、告げなくてはならなかった。
「私は、きっと長くは生きられない」
 瞳は真っ直ぐに据えたまま。
「自分勝手な男だと、呆れてくれても構わない。それでも、私は」
「一人で、背負うのですか?」
 賢い彼女だからこそ、みなまで言わずとも分かっていたのだ。テレーゼの手が重ねられる。
「分けてくださいとは言いません。あなたがそれを望まないことは知っているから。でも、お傍に置いてください」
 手が震えないようにと、笑みが消えないようにと。記憶の中にある最初の彼女がそこにいる。
「先に言われてしまった」
「だって、私はずっと……」
 アルウェンが溜息交じりに言えば恥ずかしそうにうつむいて、テレーゼは唇だけを動かした。同じだよとアルウェンは告げる。腕の中のテレーゼはふしぎそうな顔をする。彼女にだけに聞こえる声でアルウェンはもう一度言った。
「同じだよ。願ってきたんだ。だから、一緒に」



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