序章

再会




 ガーデンテラスにはよく手入れされた薔薇の花が、競い合うように咲き誇っている。
 深みのある真紅の色に、やさしさを帯びたピンク色。純真の象徴である白の他にも、庭園に色づく花々はどれも美しく、このなかから一輪だけを選ぶのはむずかしそうだ。 
 まだ早い春の風が彼女の青の髪を攫っていく。彼は、その一瞬のときに息をすることも忘れていた。
 そう。彼が思い描いていた少女の姿はどこにも見えずに、そこにたたずんでいたのは成人した一人の女性だった。
 マイアの王女であり、彼にとっては幼なじみの姫君だ。白の王宮はそこそこに広くとも、彼女に許されたせかいはそう多くはない。この庭園は幼なじみのお気に入りの場所でもあった。だからこそ、見紛うはずがないのだ。
 彼の思考はすこし過去をたどってゆく。幼かった少女は記憶にあるよりもずっと背が伸びていた。小柄で華奢なのは変わらずに、白を基調とした上品なドレスを仕立てた職人は満足そうな笑みをしただろう。彼女は白がよく似合う。幼なじみには余計な飾りなども必要なければ、そういったものを彼女は好まなかった。
 ちいさい頃から知っている。いつも自分の後ろについてきては一緒に遊んでいた愛らしい少女。そこにいるのはおなじ人のはずだ。それなのに――。
 彼は時を奪われていた。たしかに、魅せられていた。彼女に。
 一段と強くなった北風に彼女の青髪が舞った。あの高い空よりも、どこまでも深い海よりも、もっと純粋でやさしい色だった。髪色は彼とほとんどおなじなのに、彼女の持つ麗しい青髪は、どうしてこうも美しいのだろう。
 そこでようやく彼女はこちらに気がついた。ふっくらとしたやわらかそうな唇が、微笑みを描く。
「ひさしぶりね、ブレイヴ」
 彼女の瞳に宿った感情がよりやさしくなった。
 とろりと、心を溶かすような微笑みは甘くもあり、清らかだった。深みを持つ青の色がこちらを見つめている。目が、逸らせなくなる。
「ねぇ、どうしたの?」
 それほどに見ていたのだろうか。幼なじみはもう一度、彼を呼ぶ。声の音そのものは変わっていなくとも、しかし実に心地よい声色は、記憶に残っているよりもずいぶんと落ち着いていた。心臓の動きが速くなればそれだけ身体が熱くなる。この高鳴りをなんと表現すればいいのか、彼にはわからない。
「レオナ……」
 どうにか言葉を発してみたものの、つぶやきは風の音に消えてしまった。彼女は口元に指を添える。一つひとつの所作もたおやかであり、くすくすと笑うその表情にも嫌みはまったく見えなかった。
「三年ぶりね」
 彼女は言う。
 三年という年月は少女を大人へと変えるのには充分だった。だからそこに、懐かしさとほんのすこしの寂しさが含まれていても、ふしぎではない。実際、彼女はそうした笑みをする。忘れていたわけではなかったけれど、それでも幼なじみを見つめるブレイヴの目は過去を描いていた。
 それは、よく晴れた日のことだった。抜けるような青さには雲ひとつ見当たらずに、息を吸うそのたびに新鮮な空気に満たされる。どこまでもおだやかに、どこまでもやさしく、しずかな、そんな時間だった。
 これから国の命運を分けた軍事会議がはじまる。
 それはすべてのはじまりであり、それは二人の運命のはじまりでもあった。
 聖王国の姫君と王家に仕える聖騎士。
 平和な場所にいるべき者と、鉄と血と生と死が入り混じる場所があるべき者と。しかし、動き出した大きな流れは、ふたりをおなじところへと導こうとする。
 望もうとも、抗おうとも。ただ、ひとつしかない道を歩みつづけるということを、このときの二人はまだ何も知らなかった。

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