九、御伽の話
このところの十六夜は西殿と北殿との行き来に忙しい。
事あるごとに呼び出されるのは構わないが、その相手が月影とも要人となれば何かと神経を使う。どういうわけか、月華門としての働きがこの老爺の目に止まったらしい。認められることは嬉しくもあり、しかし幾らかの警戒心を十六夜は抱く。宮中には矢張り派閥というものが存在し、女帝派と反女帝派なるものに巻き込まれたくはなかった。
月影は言わずもがな前者であって、それに十六夜を抱き込むつもりかもしれない。
女帝はもう長いこと公に姿を現さないものだから、ありあらゆる噂が飛び交い、それはけして良きものではなかった。重病説ならまだしも、すでに亡き者であると、そこまで言う者もいる。
それなのに、月影はそこに味方付けようとしているのだ。
だが、月影は十六夜を前に
それも、このように幼き相手では遊び相手といった方が正解だろう。
最初に会った時よりも成長はしていても
十六夜はあのしたたかな老爺の思惑には気付かないふりをする。
とはいえど、要人達の思惑がどうであれ、姫君はすっかり十六夜が気に入ってしまったようだ。
飽きることなく十六夜の話を聞きたがり、まずは二人の兄のことを聞かせてはみるもの、すぐに話題には尽きてしまった。他に小童を喜ばせるような話を十六夜は探し、けれども流行りの物語などはまだ早いだろう。なにしろ、その過半数が男女の色物語であるから、とても姫君には聞かせられなかった。
困った十六夜は書物庫を漁ることにする。
然れど、そこにある御伽話はどれも姫君は知っているもので、十六夜はひたすらに唸り続ける。そこで志月がとある書物を取り出した。本棚の隅に隠されたようにあったそれは、御伽の話というにはいささか生々しいものがあり、十六夜は書物と志月の顔を見るのを繰り返す。しかし、愚痴を言いながらも付き合う従者が見つけてくれたのだから、有り難く思うべきだろう。十六夜は苦笑しながらも感謝を告げた。
「それは、遥か昔の御話です。
ある時に、彼方に浮かぶ青い星からの客人が訪れたのでした。めずらしいものをみるかのように集まった月人を見て、彼らもまた同じ反応を見せたのでした。
驚くことに、青い星の人達と月人は、同じような風貌をしていたのです。明るい茶色が抜けたようないわば金の色が美しい髪色を持った者もいれば、ある者は射干玉《ぬばたま》の黒髪が美しかったといいます。
そうして、二つの星の交流ははじまりました。青き星から持ち込まれた物のめずらしさに、月人達は驚きながらも惹かれていました。反対に月のせかいは、青い星の客人から見ても驚きの連続だったそうです。
その友好はずっと長く続くものだと誰もが思っていました。ところが、少しずつ仲が違えるようになってしまったのです。青い星から来た客人達の目的を知った月人達は怒りに狂いました。
そこから争いになるまでさほど時は掛かりませんでした。月人達はたくさん死んでしまいました。青い星の人達もたくさん死んでしまいました。
やがてこれに疲れた両者は、契りを結びことにしたのです。お互いに干渉することがないように、と。青い星の人達が使っていた方舟は封印されて、そしてようやく争いは終わりました。
ですが、月に残された青い星の人達も多くいたそうです。もう二度と帰れないことを嘆いていましたが、彼らは月で生きるしかありませんでした。そのうちに月人と青い星の人との間でも子が生まれるようになりました。見た目はなんら変わりありませんが、混血子の眸の色は蒼かったといいます。それからもう一つ、混血子の使う呪力は月人よりも強かったのです。
恐れをなした月人達は、混血子達を迫害しはじめました。誰もがあの争いの恐怖を覚えていたので、それは仕方のないことでした。残っていた月人達も、その子ども達も、みんながいなくなってしまいました。これで、ようやく月のせかいに安寧は訪れたのです」
ふう、と。一つ息を吐く。
小童にも聞かせられるように、それでいて分かりやすいよう十六夜の言葉で紡いだお話だ。
夕映姫は飽きもせず、何度だってこの話を聞きたがるので、もうそらで言えるくらいになっていた。
「わたくしは、とても気になっていることがあるの」
知りたがりであり、訊きたがりでもある年頃だ。
「その方舟はどうなってしまったのかしら? きっと、今もどこかにあるのでしょう?」
それも毎回のように、言葉を変えては同じことを訊く姫君に十六夜は微笑する。
「そうですね。あるべき時が来れば見つかるかもしれません」
あまり否定めいた声をすれば姫君は機嫌を損ねてしまう。然れど嘘事を重ねるのも嫌な気分になるので、十六夜は曖昧な声ばかりをする。
「きっと、そうよ。方舟があればあの青い星に行くことが出来るんですもの」
物言いは大人の真似をしているのに、眸は小童の純真をそのままに宿しているものだから、可笑しくもある。月白の下弦や他にも教育係がいて、愛されて育ってきたからだろう。
「行ってみたいのですか?」
「ええ。それに、見てみたいの。ほんとうに、わたくしたち月人と変わらぬひとがそこにいるのか」
「でも、また仲違いをしてしまうかもしれませんよ?」
「なか、たがい……?」
少し意地悪をしてしまったようだ。夕映姫は小首を傾げている。
「喧嘩を……、言い争いとなってそれが大きくなり、やがていくさとなるかもしれません。そうなれば、」
「だいじょうぶよ。その時は、まもってくださるのでしょう?」
姫君の眸にも声にも邪気はない。ごく自然に、それが当たり前のように言う。
確かにそうだと、十六夜は思う。そのために自身は存在するのだ。全ては月の都の安寧のために。何も嫌悪に感じることはないのだ。
「また、来てくださるの……?」
そして、姫君は別れ際に同じ声をする。滲み出ているのは孤独による淋しさともう一つ。その憧憬にも似た姫君の双眸からやや目を逸らしつつ、十六夜は応える。
「はい。姫様がお望みとあらば」
きっと、これは同情の意なのだろうと、十六夜は己の心に蓋をした。
「待ちくたびれましたよ。このところは、小童のお守りばかりではありませんか。あなたともあろう方が」
志月が苛立っているのには理由がある。
十六夜が姫君の伺候にばかり行くものだから、その皺寄せがくるのだ。これでは文机に向かう時間も長そうだ。雑事が山のように溜まっている。
「そういったことも必要だって、言ったのは志月じゃないか」
それにこれは月影の意向だ。けして遊んでいるのではないと、十六夜は反論するもの、志月の声色は益々低くなる。
「どうですかね。まあ、いつまでも小童であるとは限りませんし、姫君には随分と気に入られたようではないですか。満更ではなさそうですね、あなたも」
「そんなんじゃない」
十六夜は声を大きくする。流石に腹が立ってきた。ありもしない事を勝手に決め付けられては気分が悪い。志月が含み笑いをするから余計にだ。
「しかしまあ、あんな血塗られた話のどこか面白いのでしょうね」
話題に飽きたのか志月はまた別のことを言う。
「あれは御伽話だよ。別に不快なところはない」
「いいえ、あれは史実です。だから
「……僕を脅すつもりなの?」
あれを最初に見つけたのは志月だ。ならば同罪であると、十六夜は志月を
「まさか。我が主人にはもっと頑張って頂きたいと思うのが従者の務めですからね」
「僕は今のままでいい。月華門としていられるのであれば」
「欲がないお方だ。……ところで、あれが創られた話であるのはご存知ですか?」
「あれの本当の結末は隠されているんですよ。何しろ、生き残りがまだいたとなれば月の都にとってはよろしくない事態ですからね」
「生き残りだって……?」
このまま渡殿で話していてもいいものかと、十六夜はそれとなく周囲を見回す。
「それはない。志月が言ったことだよ。彼らを滅ぼしたのはあの
芳春は優れた武将でもある。見落としたりする筈はない。
「芳春殿だからこそです。あの御仁は情に弱い。年端のいかぬような小童までも手に掛けたとは思えませんね」
「有り得ない。……でも、もしもいたとすれば、」
「彼らの容貌は
十六夜は目を
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