十三、そしてここからはじまる

「ここで何をしている?」
 期待した通りの声が聞こえた。十六夜は唇に笑みを乗せてから彼の方へと振り返った。
 開かずの間はその名の通り、立ち入ることが禁じられた場所である。よしんば立ち入ろうとしても、固く施錠されてあるために無駄だ。
 然れど、たとえ鍵となるものを持っていたとしても、その先に入ることは不可能、何しろここは強い呪術ちからで封じられている。そして、それを開くには――。
「鍵となるのはあのだね。だから、"彼女たちだけ"がその色を持っている」
 相手が何の反応も見せないので、独り言のようだ。
「彼女はずっと一人で耐えてきたんだろうね。けれど、ついに精神を明け渡してしまった。その結果があの火事だ」
 十六夜は続ける。注意深く彼の反応を探りながら。
芳春ホウシュンはそれに巻き込まれて犠牲となった。いや、邪魔な存在だったようだね。さて、"殺した"のは誰だったのか」
 そこではじめて彼の目が動いた。十六夜はその薄い唇が開く時を待つ。
 一介の月華門に過ぎない十六夜は、北殿に自由に出入り出来る訳ではなかった。
 月卿雲客ゲッケイウンカクに呼ばれて、その中でも特に月影の声が掛からなければ北殿に踏み入ること自体が罰せられる。だから、北殿の奥、それも開かずの間に近づいたとなれば、相応の覚悟をしなければならない。
 だが、わざとこれに時間を掛けたのは、誰もここへは来ないという確信があったために。
 今の時間は御前会議が行われている頃で、要人達は揃って南殿に向かっている筈だ。ただ、彼は別であると十六夜は確信していた。彼ならば勘付いていると、そう思ったのは十六夜と彼とが"同じ"であるからだ。
「僕がここに来たのは鍵を開けるためではない。あれには、まだ時間が掛かりそうだから。今日は、確かめにきたんだ。彼女が、どこにいるのかを」
「応える義務はない」
 思っていたよりも早く声は返ってきた。
 なるほど。その存在自体を隠すつもりはないらしい。月影らの要人達は彼女達の存在そのものを否定したというのに。
「認めるんだね、爽麻ソウマ。あなたが、彼女を隠していることを」
 せっかく口を開いたというのに、今度はだんまりを決め込んだようだ。
 十六夜は嘆息する。もう少し上手に演者になる必要がありそうだ。
「いいよ。何を隠そうとも、どこへ行こうとも。僕はあなたに追いついてみせる。その時こそ、鍵が開く」
「……さすれば私はいまここで、お前を斬らねばならない」
「出来るのですか? あなたに、それが」
 焚きつけたところでどこまで効果的なことか。ただし、十六夜はこれがただの脅しではないと知っている。爽麻との力の差はあの剣舞の会で嫌というほどに味わった。そこから長き時が過ぎようとも、経験という差はすぐには埋まらないものだ。
 加えて身分も違う。今ここで、容易い物言いをするのは正しくない相手。爽麻は敢えて窘めたりはしないようだが。
「爽麻。あなたは、彼らの声が聞こえているはずだ。外に出さないようにしたところで無駄だ。そのうちに這い出てくる。そして、その願いと僕たちは、」
「何か思い違いをしているようだな。私とお前には何の繋がりもなければ関わりもない」
 一筋縄でいかないことなど承知の上、しかしここまで頭の固いとは想定外だと、十六夜は歯噛みする。どれだけ甘美な言葉を用意したところで彼は味方とはならない。そもそも、十六夜が付き従う月影と、爽麻の父親である月卿雲客は敵対関係にあるのだ。月影は女帝を支持し、後者は反女帝派などというくだらない派閥には興味はないが、これが隔りとなるのもまた厄介だ。
 落胆よりも失望が強い。十六夜はそれを認めた。しかし、それこそ好都合だと、再び微笑する。
「安心してもいいよ、爽麻。幕開けにはまだ早いから。それに、表舞台に立つのは僕じゃない」
「だから、あれを生かしたのか?」
「なにしろ夢見の君の子だからね。色々と役には立つはずだ」
 爽麻の双眸に嫌悪が宿る。
 面白くなりそうだ。だが、矢張りそれにはまだ早く、十六夜は事を急くつもりはなかった。役者はまだ揃ってもいない。だから焦ることなどないのだ。
「では、またお会いしましょう。爽麻殿」
 演出だけは残しておけばいい。十六夜は爽麻へと一揖《いちゆう》する。彼は十六夜をどう見ただろうか。かつての同胞、それすらも見ない振りをするというのなら、それでも構わない。どこへ向かおうとも、志は共にあるのだと、十六夜は信じていたのだ。



「珍しいね、皐月がここへ来るなんて」
 書面を綴っていた手を止め、十六夜はつと訊き返した。
 文机には少し傾けただけで崩れそうな書物の山が、それから十六夜が振り返った先にも、そこここに置かれた巻物がある。
 銀の髪をした童は、主人と乱雑に置かれた書物を交互して深い息を吐いた。多分、これは呆れているのだろう。何しろちょっと目を離しただけで、すぐにこうなってしまうのだから。
「それも火急の要件らしいですよ。なんでも、厄介事に首を突っ込んだとか」
「皐月らしいね」
 童は応えながら少しずつ片付けを始めた。勝手に触られてしまうと、また一から探す羽目になるので控えてほしいところだが、ここは見守っておいた方が良さそうだと十六夜は苦笑いに変える。
「それで? 私はここで待てばいいのかな?」
 一休みをしたいとことでも、生憎仕事は山積みだ。所縁のある女童《めのわらわ》の頼みとあっては受けたいところではあるが、時間はそう自由を許さない。
「いえ、出来れば十六夜様に来て頂きたいとかで」
「ふうん」
 童がどことなく機嫌が悪い理由がそれだと、十六夜は悟った。元より明るい感情を面に出さない童ではあるもの、今日のところは特にそうらしい。
「いいよ。望月に会うのも久し振りだから」
「……もう一人、いるようですけど」
「もうひとり?」
 十六夜はやや首を傾げてみたが、すぐに声は聞こえなかった。
「別に、知らない人ですけど」
 その物言いがどうにも可笑しくて、十六夜は堪え切れずに笑ってしまった。すると、童の目は益々細くなる。
「何が可笑しいんですか」
「いや……。そうか、彼が来たんだね」
 そこで笑みを止め、十六夜は童の顔を見た。残念なことに視線はすぐに逸らされ、しかし童は想定内の反応をする。
 十六夜はやおら立ち上がり、それから童の頭に手を置いた。小さかった童は背は幾分伸びたものの、それでもまだ十六夜よりも頭一つ分は低い。もしも父親に似ればじきに追い越すだろう。が、童はどちらかといえば母親似のように十六夜は思う。
 では、もう一人は父親似だろう。
 宮中では誰もかの御仁の名を出さず、それはその家族もまた同様に。それどころかそこに関連するみなまで捨て去っているのだから、まるで葬り去りたい過去のようだ。事実、それは正しい。要人達は少しでも月の都の安寧が乱れる事を恐れている。
 壊す時が来たのだ。
 十六夜はかつての従者の言葉を思い出す。これから十六夜が行うことは確かにそれであっても、間違っていることが一つだけある。従者と別離の道を歩んだのはそのためだ。否、迷いなど、とうに捨てた。
「さぁ、行こう。如月。ここからはじまる。いや、きっと終わらせてみせる」
 そして、十六夜は再び演者の仮面を貼り付けた。

                              

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